200/366日・・・7月18日は何の日?
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ネルソン・マンデラ国際デー
<ネルソン・マンデラ国際デー>由来
2009年11月の国連総会で7月18日を「ネルソン・マンデラ国際デー」と制定。南アフリカ共和国初の黒人大統領で、反アパルトヘイト運動を主導したネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)の誕生日に由来しています。
ネルソン・マンデラ
南アフリカ連邦で1918年に生まれたネルソン・マンデラ氏は、名門フォートヘア大学で法律を学びます。しかし、学生ストライキの指導者として退学処分を受けました。その後、別の大学で法学を学びながら、アフリカ民族会議(ANC)に入党し、「非白人」解放運動に積極的に関わりました。彼はアパルトヘイト撤廃に向けて生涯をかけて戦う事となります。
ANC副議長として活動する中で、1962年に「国家反逆罪」で逮捕され、27年間の収監生活を送りました。収監中に結核や呼吸器疾患、重労働による目の損傷などで健康を害しましたが、勉学を続け、法学士号を取得しました。彼は仲間たちとともに獄中で勉強し、その収監されていた島の名前から「ロベン島大学」と呼んでいました。
マンデラ氏の家族も弾圧や嫌がらせを受けましたが、彼は諦めずに活動を続けました。彼の強い意志はアパルトヘイト撤廃への強い願いによるものでした。1989年、当時の大統領デクラーク氏との対談が実現し、マンデラ氏は釈放されました。その後、ANCの議長に就任し、民主アフリカ会議を開催。暫定政府と暫定憲法の策定に尽力しました。1991年には、ついにアパルトヘイトが撤廃され、彼はノーベル平和賞を受賞しました。
その後も南アフリカ共和国の大統領として、民族和解と協調を呼びかけ、新憲法の制定に取り組み、アパルトヘイト体制下の格差や対立の解消を目指しました。マンデラ氏は1999年に政界を引退します。
マンデラ氏は南アフリカにおいて「神」と崇められる存在となりました。アメリカのオバマ大統領も彼を「20世紀最後の偉大な解放者であり、歴史上の偉人」と評価しています。
ネルソン・マンデラ氏はアパルトヘイトによって差別された非白人の立場にありました。怒りや悲しみを抱きながらも、彼は復讐の道を選ぶことはありませんでした。彼の真の目的は白人と非白人の和解と協調であり、そのために全力を尽くしました。彼の27年間に及ぶ苦難の獄中生活は非常に過酷なものでしたが、彼はその間も闘いを諦めませんでした。
2013年、ネルソン・マンデラ氏は91歳で亡くなりました。彼の死は世界中で深く悼まれました。彼の追悼式典では、かつて確執のあったアメリカのオバマ大統領とキューバのカストロ首相が握手し、歴史的な瞬間となりました。マンデラ氏は死後も平和のための架け橋となっていたのです。
一方で、ネルソン・マンデラ氏を非難する声もあります。南アフリカの経済面では、白人の資本支配が残っていると指摘されています。確かに、まだ解決されていない問題も存在しますが、アパルトヘイト撤廃という功績は決して無視できません。だからこそ、彼を世界中が讃え、英雄として賞賛しているのです。
マンデラ氏の生涯は決して容易ではありませんでした。しかし、彼の揺るぎない信念のもとで歩んだ道は、歴史を変える力を持っていました。アパルトヘイトの撤廃は彼の努力と闘いの結果であり、その意義は計り知れません。
ネルソン・マンデラ氏の存在は、人々に勇気と希望を与え続けています。彼の偉大な功績は今後も語り継がれ、世界中で尊敬と感謝の念を受け続けるでしょう。
~生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある~
= ネルソン・マンデラ =