目次
154/366日・・・6月2日は何の日?
- 裏切りの日
- 横浜港開港記念日・長崎港開港記念日
- 横浜カレー記念日
- 路地の日
- 甘露煮の日
- おむつの日
- むずむず脚症候群の日
- オムレツの日
- ローズの日
- ロープの日
6月2日が誕生日の有名人
- 西川大輔
- 神保美喜
- ペタジーニ
- アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ
- 又吉直樹
- ナガシマトモコ
- 齋藤彩夏
- 兼崎健太郎
- 沢城みゆき
裏切りの日
<裏切りの日>由来
1582年6月2日、京都の本能寺で織田信長が家臣である明智光秀の裏切りにより攻められ、本能寺で自害した事が、この日を「裏切りの日」とした由来となっています。
本能寺の変
近年、本能寺の変については、従来の「光秀が信長への遺恨から謀反に及んだ」という説に加えて、「光秀の背後に黒幕がいた」という説が登場しています。また突発的な野望にて行われたという説もあります。
突発的野望説では、織田家当主の信忠が京都滞在を決めていた中、光秀が突如として野望を抱き、信長を倒す決心をしたというものです。織田家の重臣たちは遠方で戦っていたため、光秀は今なら自身が有する兵力を活かせば、信長を討つことが可能なのではと考えたとされています。
また、他にも、朝廷黒幕説や足利義昭説など、複数の説が存在しています。しかし、専門家の間では、反証史料や状況証拠を用いて、各説の矛盾を指摘しています。一部の専門家は今でも光秀が信長への遺恨から謀反に及んだ、光秀の単独犯行であると断定しています。
本能寺の変には様々な説がありますが、真相はいまだ藪の中といったところでしょうか。しかし、明智光秀の子孫・憲三郎氏は、ベストセラーとなった著書「本能寺の変431年目の真実」で、「光秀は信忠が京都に居たことを知らなかった」と述べています。この本は私も読ませて頂きましたが、大変興味深い内容となっています。興味のある方は一度手に取ってみてはと思います。このように本能寺の変の真相をめぐっては、今も続々と新説が登場している状況です。
現代に至るまで多くの人々に興味を持たれ続けている本能寺の変。これからも歴史の謎として、語り継がれていく事でしょう。