59/366日・・・2月28日は何の日?
- 世界希少・難治性疾患の日
- ビスケットの日
- 織部の日
- エッセイ記念日
- バカヤローの日
2月28日が誕生日の有名人
- 菊川怜
- 上白石萌歌
- 田原俊彦
- 山本ひかる
- 菅井きん
- 西澤呈
バカヤローの日
<バカヤローの日>由来
1953年2月28日に行われた衆議院予算委員会で、当時首相だった吉田茂が「バカヤロー」と発言したことが由来となっています。この発言がきっかけで1953年の3月14日に衆議院が解散、この解散は『バカヤロー解散』と言われています。
これを聞くとよほど大きな声で「バカヤロー!」と叫んだように感じますが、実際は小さな声で「バカヤロゥ・・・」と呟いたのをマイクが拾ってしまい、それに気付いた西村栄一議員が「バカヤローとは何事だ!!」と問い詰めて騒ぎが大きくなったようです。
吉田茂
誕生~学生時代
1878年9月22日に東京で生まれる。4歳の時に貿易商・吉田健三の養子となるが、11歳の時に養父・健三が死去し莫大な遺産を相続する。
莫大な遺産を相続し、お金に余裕があったからかどうかはわからないが、様々な私塾や学校を転々とし最終的には1906年に「東京帝国大学」を卒業(現在の「東京大学」)、同年9月に外交官および領事官試験に合格し、外務省に入省する。
外交官時代
入省後、約20年の多くを中国大陸で過ごしていた吉田茂は中国の奉天総領事館の領事官補として外交官のキャリアをスタートさせました。他にイタリアやイギリス等への赴任も経験、また田中義一および浜口雄幸両内閣の外務次官を務めました。
戦時中は早期終結を目指して奔走していましたが、吉田邸に潜入したスパイにより憲兵隊に約40日間拘束されます。しかし、この戦時中の投獄が逆に戦後は幸いし「反軍部」の勲章としてGHQの信用を得ることになったといわれています。
内閣総理大臣
終戦直後の1945年9月、外務大臣に就任。翌1946年5月、内閣総理大臣に就任する。
マッカーサーとの良好な関係を築いた吉田茂は、GHQによる占領時代をたくみな戦略で乗り切り、戦後日本の復興に大きく貢献しました。以下が主な功績。
- 第2次農地改革
- 日本国憲法公布
- 教育基本法・学校教育法制定
- 単一為替レート設定
- 警察予備隊創設
- サンフランシスコ平和条約調印
- 日米安全保障条約調印
- 自衛隊創設
1946年~1954年(第一次吉田内閣~第五次吉田内閣)まで内閣総理大臣を勤め上げました。
吉田茂の最後
総理大臣の席を降りた後も、池田勇人(第58・59・60代内閣総理大臣)や、佐藤栄作(第61・62・63代内閣総理大臣)などを指導し1963年に政界を引退。1967年10月、享年90歳(満89歳)大磯の自宅で永眠されました。